嫌いじゃない! 7「俺そろそろ二見に告ろうと思っている」 いつものマックの二階で、いつもの山口と宮城といたときだ。山口がチーズバーガーと照り焼きバーガーの袋を丸めながら言った。 「すりゃいんじゃね?」 「うん。すりゃいいと思う」 湯谷のことを考えながら、ポテトを口に放り込んで言うと、宮城も同意してくれた。 湯谷は最近、時々だけど、二見と話をしている。 俺もたまに混ざる。話は続かないけれど。いつもではなく、時々なのは、あまり無理をさせない方がいいという判断からだ。緊張させ続けるのも負担だろう。相変わらず湯谷は挙動不審だけれども。つっこんだ話はできない。湯谷から話しかけてくることもない。それでもしゃべっていることで、徐々にだが、浮いた感じは薄くなっている。いじわるな何人かはいなくならないが。 「おまえらもうちょっと興味もて。寂しいぞ」 山口が言ったので、改めて顔を向けた。 「興味もたないといけないのかぁ。そうかぁ。興味を持てるよう、がんばってみようか。なぁ森村」 「うん、がんばらないといけないなぁ、しんどいなぁ」 「おっ、おまえら……」 山口は巨体を今にも爆発しそうに震わせた。 俺と宮城の返答が乾いているのは、何回も聞いたセリフだったからだ。昨日するつもりだった、今日そろそろ、明日に必ず、何回も聞いてしなかった。いい加減、まともに相手をしたくない。 「だっておまえ、いままでも告る告るって言ってるくせになぁ」 「そうだよそうだよ」 宮城がもっともなことを言ったのでうなずくと、山口が目をつむり腕組みして顔を上げた。 「今回ばかりは、本気なんだ。ただなぁ」 山口が顔を戻し、目を大きく見開いた。 「いまのままでは、たぶん玉砕する」 「わかってんじゃん」 宮城が意外そうに言った。 一応山口は山口なりに考えているのだろう。 「森村は二見と友達だ。だが俺は、二見と友達づきあいがあるわけじゃない。確かに話はするようになった。しかしそれだけの存在だ。湯谷を茶化したことで、俺のイメージは悪い。つまり俺は、二見にとってクラスメイトの一人でしかないわけだ。知り合いレベルだろう」 山口にしては、的確な分析だ。本気なのだろう。やる気まんまんらしい。 「もうすぐ夏休みじゃないか」 「おう」 「俺は夏休みに告白しようと思っている」 「おう、しろ」 俺は即答した。 「先程も言ったように、ただ告白しただけでは、勝ち目は無い。ならば俺を特別な存在として、二見の脳に刻みつけなければならん」 「ふむふむ」 宮城がチキンナゲットをかじりながらうなずいた。 「そこで俺は、すばらしい作戦を計画した」 「作戦?」 「ふふふふふ。見て驚くな。でも見たら少し驚け」 どっちだよ。 心の中で突っ込むと、山口が自分のバックから紙を取り出した。 「なんだこりゃ」 真っ白いコピー用紙一杯に、文字が描かれている。 登場人物 勇者 山口 泰輔 お姫様 二見 恵子 悪者A 森村 俊介 B 宮城 智樹 まさかこれって……。 本気か。 そんな訳ない。 鳥肌が立った。 宮城も口を開けたまま、動きを止めている。 「徹夜で考えた作戦だ。要するにこういうことだ」 山口の作戦は、このキャストが描かれた紙だけ見ても察せられる。しかしベタ中のベタなわけで。小学生の悪ふざけにでしかなくて。 本気でやるつもりか。 「一応、聞く。おまえ、まさか、俺と宮城に悪者になれと言うのか」 「うむ。さすが森ちゃん。俺が見込んだ奴だけはある」 「おっ、俺、見込まれてたんか?」 「あっ、俺、ちょっと杏奈と約束があったんだ。じゃ」 宮城が立ち上がり逃げようとしたところ、山口が咄嗟に腕をつかんだ。 「これだけは言っておく」 山口の声が低く沈んだ。 「宮城、おまえは俺に助けられたよな? 俺がいなかったら、杏奈ちゃんを助けることができただろうか?」 「ぐっ。卑怯な」 宮城の顔が汗まみれになった。 「そして森村」 俺に顔を向けたとき、山口の目が光って見えた。 「おまえが湯谷のことをあきらめていないのは知っている。もしかしたらおまえだってこれから湯谷絡みで、俺の手を借りたくなることがあるかもしれない。いや、あえて断言しよう。ある。その時のためにも、ここで俺に貸しを作っていたほうがいいのではないか。大人の判断をする必要もあるのではないか?」 宮城の腕を握っていないもう一方の手で、俺は肩を抑えられた。巨人におさえつけられているようで、体が動かず逃げられない。 「森村。おまえの力が特に必要なのだ」 「どっ、どういうことだ……おまえは一体、何を企んでいる?」 俺は自分の額から汗が垂れるのをはっきり感じた。 「夏休み、二見を海に誘うのだ。そこで俺の作戦は実行されるだろう。ふふふふふ」 こいつ、まじか……。 「なんで海じゃないといけないんだよ」 俺が聞くと、山口は立ち上がった。 「海には開放感がある。告白するにはこれ以上いい場所はない。それに、二見の水着姿が見たいのだ」 ようするにスケベ心か……。 「もちろん二人とも、協力してくれるよな?」 「ぜってーいやじゃ!」 俺と宮城が発した答えは、必然的に同じものになった。 「じゃ、また明日」 二見が手を振り、友達と別れた。 俺達は三人並んで、塀の影から顔だけ出し、様子を見つめていた。 他人から見れば、変な三人組だ。通報されても言い訳できない。自分でもなにやっていると思う。 二見は山口の邪悪な陰謀など想像していないだろう。住宅街を歩いていく。普通の家が二つも三つも入ってしまいそうなほど妙に大きな家ばかりだ。ガレージには、ベンツだって置かれている。どうやらここら一帯、金持ち連中が集まっているようだ。 「ぜんぶすげぇなぁ。いかにも金持ちそう……」 山口が都会に初めて出た田舎者みたいに、周囲を見回している。 「噂だけど、二見って金持ちのお嬢さんらしい。だから俺にも勝ち目がある。俺の野生で包み込めば……」 山口の口調が危ない。 ともかく話しかけなければいけない。わざわざここまで来たのは、教室で、海にでも行かない? なんて言えないからだ。二見ファンがこぞって、自分も自分もと言いかねない。他のクラスにも知れ渡るだろう。そうなったら、ちょっとした臨海学校だ。実にめんどう。ファンに気も遣わなければならない。俺と二見が友達と知れ渡っているが反感を持った奴もいる。そういったやからに対し、気も遣わなければならない。憩い場を利用すればいいけれど、山口が嫉妬する。山口をあの店に連れていっていいものかどうか。もしかしたら入り浸って、二見とマスターに迷惑をかけるかもしれないから簡単に教えられない。 ただ、ちょっと前までは、人間関係に敏感だった。今の俺には味方が増えている。少なくとも、学校にもクラスにも慣れた。それでもトラブルを起こしたくない。しかし海に誘うのは、トラブルを自分から起こそうとしているものではないのか。山口のことを思うと、むげに断れないからしかたない。それに山口の、二見に気に入られよう作戦はともかく、夏休み海で遊び倒すのは楽しそうだ。 そういったわけで、もし誘うなら、こっそりということに決まったのだ。一番いいのはメールだろうけれど、二見は携帯もパソコンも持っていない。 今、ようやく二見が一人になった。 俺たちは完全にストーカーだった。本当にいいのか。心配しすぎだろか。素直に学校でひとりになったときを見計らって言えば良かったのではないか。まぁ、取り巻きとほとんど一緒だったからここまで来ることになったのだが。 俺の腕を、山口が肘でついてきた。 「どうしたんだよ。一人になったぞ。早く俺様のために動け」 「なんだよ、もう……」 俺は塀から出て、二見に近づいた。 が、声をかけようとしたとき、二見が角を曲がった。 「あぁ、くそ」 俺も角を曲がり、立ち止まった。 「どうしたんだよ。声をかけないのか?」 追いかけて来た宮城が言い、俺が見ている方に顔を向けた。 山口も黙って突っ立ったままになった。 「嘘だろ」 俺は見た。築何十年か。周囲の大きな家と正反対で今にも崩れ落ちそうなぼろい平屋があった。小学生でも、一クラスで一斉に蹴ったら簡単に壊れそう。平屋の前には、舗装されていない雑草の生えた空き地が広がっている。平屋の場所だけ、住宅街から浮いている。そんな家に、二見が入った。二見が住んでいるのが信じられない。お嬢様と考えていたのは勝手な妄想だった。 「帰ろうぜ。人様の家、じろじろ見ているなんて趣味悪いよ」 俺は山口の肩に手をかけた。 「まだだ」 山口が平屋を見つめたまま言った。 「へ?」 「作戦なんてどうでもよくなった」 山口の肩に手をかけたまま、一瞬思考停止した。 「まだって言ってんだよ」 俺の手を振り払い、山口が二見の家へ向かった。 いい加減むかつく。なんだって言うんだ。 「いまから告る」 「待てよ。おまえまさか、二見の家まで行くのか?」 山口が振り返り立ち止まった。 「なんで駄目なの」 山口の目が、異常に輝いている。嬉しさからの輝きでは無い。怒っているように感じられる。正直怖い。しかし山口を異常者にできない。 「おまえちょっと待て。冷静に考えろ」 山口は俺と宮城を交互に見て呟いた。 「おまえら、引いてんだろ」 山口の声が俺の心臓を揺らした。 「二見の家を見て、引いただろう。あの二見がさ、おんぼろ小屋に住んでんだぞ?」 「関係無いだろ」 なだめる宮城に山口がにらみで返した。 いつも骨がないと思えるぐらいへらへらしているのに今回はまじだ。 「貧乏みたいだな。二見ん家」 山口の言葉に、宮城は目を丸く見開いた。 「学校では、そんな素振り無いよな。まじでいい所のお嬢様みたいだよな」 「何が言いたいんだよ」 宮城はそう言って、山口から視線を逸らした。 「俺にもわかんねぇよ。ただ胸が今、最高に熱い。今すぐ気持ちを伝えたいんだよ。ようするにな……」 山口の目から涙が一筋垂れた。 「二見のこともっと好きになった。二見の敵なら、ガン○ムにだって勝てそうだ」 なんだよガン〇ムっての。 「おまえ二見のこと考えてみろよ」 俺の反論に、山口が笑みを消した。 「もしかしたら誰にも見られたくないかもしれないだろう。秘密にしようとしているかもしれないだろう。自分が好きだからって、土足で他人のそんな場所に踏み込んでいいのかよ」 「女子から聞いたんだけど、二見って自分の家のこと聞かれると、妙に無口になるんだって。知られたくないっていうか」 宮城が平屋を見て話を続けた。 「納得できた。おまえいまいったら、ふられるだけじゃなくて、敵になるかもよ?」 「お前等の言う通りだよ……くそ」 山口は二見の家を見て、唇を噛みしめてうなだれた。 「おやじやおふくろみたいなこと言うなよ」 終業式で、聞きたくもない校長と生活指導の長々とした話を聞き終えたあとはホームルームだ。終わった直後が勝負。海に誘わなければならない。とりあえず机にその旨を伝える紙を入れたけど、気づくだろうか。 先生が通知表を順番に配る間、考えていた。 期末テストを適当にこなした結果、最終的には、まぁまぁの成績だ。山口は通知表を手に持ったまま、ぐったり伏せている。あまりいい成績ではなかったのだろう。宮城は、こんなもんかなというように、通知表を一瞥しただけだ。 湯谷はどうだろう。むずかしい表情で通知表とにらめっこをしている。 「ねっ、ねぇ、ゆっ、湯谷はどうだった?」 俺は勇気を振り絞り聞いてみた。あとは夏休みだけというのも、気持ちに余裕が持てた。 二見の協力なしに話しかけるのは、はじめてだった。 「あっ、えっ、えっと、うーん、み、見ます?」 顔を真っ赤にして、湯谷が通知表を差しだす。 「見ていいの?」 「あっ、はい。いい、ですけど。はぁ」 遠慮無く見せてもらった。 「湯谷、さん、すっごい……」 後ろの席の女子も興味が湧いたのか覗き込んだ。 五点満点中、体育だけ三。あとはオール五。期末テストの結果も貼られている。ぜんぶ満点だ。末恐ろしい。うちの学校は、けしてレベルが低くない。しかし余裕で取ったとか、あたりまえという感じがする。 「すごいね湯谷」 「あっ、はぁ、ありがとう、ごっ、ございます」 湯谷は相変わらずうつむいて、視線を合わせてくれない。まぁしょうがない。少しは話ができるようになったが慣れないのだろう。 そんな湯谷があの男には自然な笑顔を向けていた。本当に何者なのか。怖くていまだ聞けない。 教師が夏休みの注意点を長々語る。 深夜出歩くなとか、ハデなかっこうすんなとか、中学の時と内容は同じだ。 うざい。はやく終わらないか。 「じゃぁみんな、夏休みに補導されないように。勉強すること。はい、ホームルーム終わり」 早速、二見を見た。二見が机から俺の伝言を出し読んでいる。二見は俺を見てうなずき伝言をバッグにしまった。二見の周りに取り巻きが集まった。 「よう、結局、海、誘えなかったなぁ。作戦は失敗か。俺が無理言ったもんなぁ」 「まだあきらめるのは早いぞ」 「どういうことだよ」 「とりあえず、後でふたりでこっそり話をすることにした」 「ああ!?」 山口が大きな声で言ったので、教室中の人間が俺たちを見た。 「恥ずかしいなぁ」 山口の頭を叩いた。逃げ出したい。 「だっておまえだけずるいよ、絶対」 「おまえのために動いてるんだからいいじゃねぇか」 宮城が苦笑しながら、山口の頭を撫でた。 「まぁそれはそうなんだけど……」 本当のところ、二見だけではなく、湯谷も誘いたい。湯谷はいつも通りのんびりバッグに教科書をしまっている。その時宮城が、頭を掻いて湯谷に声をかけた。 「湯谷さん」 湯谷の体がびくんと跳ねた。 「えっ、えっ、あっ、あたし、に、なっ、なにか、ごっ、ごよう、ですか?」 湯谷がとぎれとぎれに言い、宮城を見てうつむいた。 「湯谷さん携帯番号教えてよ」 「えっ……」 ナイス宮城。 「あっ、俺も教えてくれよ」 俺も早速乗った。ものすごいチャンス。 「へ……? えっ、あっ、えっ、携帯、電話の、番号、ですか?」 「駄目かなぁ」 「ごっ、ごめんなさい。あんまり、男の人に、携帯電話の番号、教えたら駄目って、きつく言われちゃってて……ほっ、ほんと、すっ、すいません」 「そうなんだ。ごめんね。変なこと聞いて」 「あっははは、は、、い、いいです。はい。こちらこそ、ごっ、ごめんなさい、です」 湯谷はいつもよりちょっと早く荷物をバッグに入れて立ち上がった。 「駄目かぁ……」 携帯電話を出したまま、俺が溜息を吐くと城が言った。 「湯谷は携帯電話を持っているってことは分かった。さてどうするか」 「とりあえず、俺はもう行く。じゃぁなにか決まったら連絡するぞ」 「おい待て。俺の話はまだ終わっていない」 山口が口を尖らせるのを無視して立ち上がり逃げた。尾行されるわけにいかない。 憩い場で二見と二人、テーブルを挟んで向かい合っているのは考えると変な話だ。 二見はあんみつを食べながら、ほおづえをつき窓の外を眺めている。 俺はオレンジジュースをストローで吸いながら、二見の横顔を見た。 窓から入る光に照らされた二見の横顔は、実にきれいだ。 湯谷を好きにならなかったら、もしかしたら、二見を好きになったかもしれない。 「なによじろじろ見て。ほれた? 湯谷さんに言っちゃうぞ?」 「うっ、うるさいよ」 二見から慌てて視線を逸らした。 「まぁ、とっ、とにかく、夏休みに海へ行くってのも楽しいんじゃないかなぁ」 「いいねぇ。行こうか」 二見はすんなりオーケーしてくれた。 「だけど問題があるんだ。おまえが行く話が広まったら、大きなイベントになっちゃうんじゃないか? だからこっそり」 「大袈裟じゃない?」 「油断できないって」 「そうかなぁ」 あまり多くを誘いたくない。山口の作戦が実行できにくくなる。バカな作戦だけど、助けてやりたい。貸しも作れるし。うふふ。 「数人でいいんだ。ほんと」 「分かった。じゃぁ、何人かの女子に連絡するよ。そうだ、森村君の携帯番号教えてよ。あたしは携帯電話持っていないから、家電しかないけど」 二見が顔を赤くして言った。 「いまどき携帯電話持っていない女子高生なんてなかなかいないわよねぇ」 「そうでもないさ。いいんじゃない? そういう女子高生がいても」 二見がメモ帳を出したので、自分の携帯番号を教えた。電話番号を携帯電話に記憶させていると、二見がめもりながら言った。 「湯谷さんも、誘ったらいいんじゃない?」 「えっ? いや、無理だろ。あいつにどうやって連絡取ればいいんだよ」 「簡単じゃない。連絡網もらったじゃん。あの時、湯谷さんの家の電話も出てたよ? まぁ、普段は見ないもんね。だから今、あたしも電話番号教えているんだけど」 「あぁ俺、バカだ。気づかなかった」 なにかあったときのための連絡網をもらっていた。クラスメイトの電話番号が書かれていたはずだ。 「でも俺は無理よ? 宮城が湯谷に携帯番号を聞いたんだ。家の人が、無闇に携帯番号を教えるなってことで断られた。男が連絡したらすぐ切られそうよ?」 「あたしが電話するよ」 「ふー、ありがとう」 本気で二見に感謝したい。 「じゃぁ、ここ森村君のおごりね」 しっかりしてるわ……。 太陽が眩しい。 俺はシートにうつぶせに寝転び、手で顔に風を送るが涼しくない。 皮膚のあらゆる穴から熱が入る気がした。 夏休みの海には、砂が足で見えないぐらい人で一杯だ。父親に肩車された子供から、水着姿のおねーさんまでいる。 ビーチでのんびりしていると、素ちゃんを思い出した。橋本素子。空手の先輩であこがれの友達。小学生の頃は、夏になれば素ちゃんと海へ来たっけ。本当に海が好きだった。 「なぁ、ほーーーーーんと良かったなぁ。俺のおかげだな」 「バカ山口。俺のおかげだろ」 素ちゃんのことはともかく、山口とにやつきながら女子を眺めていた。 「湯谷さんボールいったよ」 「あっ、はっ、はいー。きゃっ」 湯谷は慌てて動こうとしたが、おもいっきり転び波飛沫を上げた。 なんて平和な光景だ。水着姿の女子が、波間でビーチボールでバレーをしている。 二見はビキニ。白い肌を輝かせている。 湯谷はワンピースタイプ。とてもいい。 そんなふたりをのんびり見ていると、二見が近づいてきた。 「二人もなにかしたら? つまんなくない?」 「いやいやいや。大丈夫。見ているだけで大丈夫」 山口のすけべったらしい表情を見て、二見が目を細め口をひきつらせた。 「それにしても、湯谷を連れてきてくれてありがとう」 「いいよいいよ。湯谷さん最初はごねてたけど、女子だけって言ったら、それじゃぁって。嘘だけどね」 「さすがお代官様」 「ほっほっほありがたく思え大黒屋」 湯谷が来たときは、本当に驚いた。 麦わら帽子と白いワンピース姿で、深窓のお嬢さまという感じだった。私服の湯谷も新鮮で可愛かった。 俺と山口と宮城を見つけると、湯谷は、えっ、と目を大きくしていた。 とにかく二見には感謝しかない。 今度憩いであんみつ二杯はおごってやらんと。 宮城は杏奈と一緒に、俺達と離れ、ふたりでいちゃいちゃしていやがる。 俺だって、湯谷と二人になりたいのに見せつけやがって。 「よぉ森ちゃん。ヒトデって美味いのかなー」 山口の声が聞こえ、次に俺の後頭部に何か乗った。石みたいに固いけれど蠢いている。 ヒトデ? 触手が蠢くイメージが重なった。 「うがぁ」 反射的に乗った物を払った。 「キャァァァァ!」 近くで叫び声が聞こえた。見ると隣で日光浴をしていた女の子が泣いている。そばの砂の上には、緑色のヒトデが転がっている。どう考えても、俺が払った物だ。唇がひくつく。 「てへ」 山口が舌をちろっと出した。 全然可愛くない。むかつく。 「おまえなに乗せた俺の頭になにを乗せた」 立ち上がって山口に詰め寄るが、俺と同じスピードで後方へ下がっていく。この野郎。でかいくせになんて器用な。 「おっ、おまえ、本当にあれを、俺の頭に乗せたのか? あの裏側が、無性にクソ気持ち悪い物体を」 鳥肌が立つ。 「あーーーーうざってぇ」 俺は山口の背中へ飛び蹴りを放った。 「ぐわぁ」 俺の足の裏は見事、山口のでかい背中を捉えた。山口はもんどりうち、頭から砂へつっこんだ。 「おまえは親友にこんな酷いことをするのか。実に見下げた奴だなー」 山口が言いそうな言葉を先取りして言い、でかい後頭部を足で踏みつけた。 「そうだ俺はする奴なんだよ」 「ぶわっ、ぷぷ」 山口が砂を撒き散らし咳き込む。 「俺のセリフ奪ったな?」 砂まみれの山口が、眉間にシワを寄せてじりじり間合いを詰めてくる。 「きさまが言うことなど、五手先まで読めるわ」 俺と山口の間合いがぶつかりあう。 「ちょっと二人、助けて」 とつぜん女子の一人が駈け寄って来た。青ざめ慌ててている。 「なに?」 「恵子と湯谷さんが」 指差す方を見ると、女子たちが数人の小麦色の男に囲まれていた。 「おい」 「ああ」 俺と山口は駈け寄った。 「やめてください」 二見の嫌がる声が聞こえる。男の一人が、イヤラシク顔を緩ませ、二見の腕を引っ張っている。 「そんなこと言わないで、いっしょに遊ぼうよ」 俺はライフセーバーを探したが見つからない。周りは巻き込まれたくないのか、見て見ぬふりをしている。 小麦色たちは、俺より年上の大学生ぐらいか。どうしたものか。湯谷はうつむいているだけで抵抗しない。 「やめてください」 女子たちが泣きながら、男を離そうとしているが無理のようだ。 「うるせぇブス共。俺たちは、この二人に用があんだよ」 「やっぱ助けないと男がすたるよな。おまえ、もう悪人になる必要ねぇぞ。最低最悪の悪人を見つけたから」 山口の目が血走っている。無理もない。相手は二見を狙いにかけているのだ。 山口はいつもと違う能天気な気配を消し、首を曲げ、拳を鳴らしながら近づいていく。杏奈を助けたとき以上の殺気だ。 「そうだよなぁ」 俺も放ってはおけない。 「あー、君たち、やめたまえ」 山口が妙に真面目ぶった口調で声をかけた時だ。横から細い人影が出て、男と女子の間に割り込んだ。 「あんたら、腐ってんのか。嫌がってるのに止めなさい」 それはオレンジ色のビキニを着た女性だった。 「ぷぷっ」 助けに来たのが女性だったからか、男たちが一斉に笑った。ナメテいるのだ。 山口は上げた手を固まらせていたけど頬をかいた。 「助けないのかよ?」 俺は山口の横に並んで聞いた。 「かっこいいあの女の人が勝つぜ。圧倒的だ」 山口がつまらなそうに言い、再び顔を向けた。俺は改めて女性を見て、固まった。 「うそだろ。素ちゃんじゃん」 「えっ?」 山口が顔を向けて来た。 「知り合い?」 「空手の先生の娘。先輩だったんだよ」 「へぇ」 男が素ちゃんの腕をつかんだ。瞬間、素ちゃんは男の腕を払い、裏拳を放った。男が後方によろめき、涎を撒き散らしながら倒れた。 素ちゃんは二見と湯谷を守るように手を広げた。男達は倒れた男を指差し笑っている。 「だっせー。女にやられてやんの」 「おいクソアマ。女だからって、容赦しねぇぞ? あぁ?」 坊主頭が唾液を吐き、拳を振り上げた。なんて無謀な。素ちゃんが足を振り上げた。 「がぎゃん」 男が股間を押さえ、前屈みで倒れた。 素ちゃんは坊主の顔に、本気の蹴りを入れた。容赦ねぇ。 「えぐいことするなぁ、おまえの先輩」 「ははっ、かっ、変わってねぇ」 本気でなめた相手に対しては、とことんやるのが素ちゃんの流儀だったか。 残った三人は素ちゃんを手強いと認めたのか笑みを消した。一番背の高い男が、両手を上げ抱きつこうとした。 素ちゃんは男のみぞおちに肘を入れた。振り向きざま、ホスト風へ後ろ回し蹴りを放った。ホストが倒れた……がそこまでだ。最後のロン毛の男に対し反応が遅れた。ロン毛の動きは妙に速い。格闘技経験者か。素ちゃんはロン毛のふとももに、下段蹴りを当てた。ロン毛は体勢を崩さない。 「あっ、甘く入った」 山口が呟いた。 「おらー!」 ロン毛が素ちゃんの体に前蹴りを放った。素ちゃんは両手で蹴りを防いだ。ダメージはないと思うが形勢は不利だ。 「騒いでいると思ったら、なにしてんだよ」 今度はタトゥーを入れた男と、ピアスをつけた男が現れた。 「かわいい女子高生とお友達になろうと思ったら、この女がいきなり出て来て」 「げっ、女にやられたの? なっさけねぇなぁ」 「うるせぇ。強いんだよ」 現れた二人は、素ちゃんがやったやつらより強そうだ。 腕の筋肉が発達している。めんどくさいことになった。 「あぁ君たち、そろそろやめなさい」 いつのまにか山口が、素ちゃんの前に出ていた。 「なんだこのガキ。でけぇな」 タトゥーが笑いながら山口を見上げた。 「やめなさい。怪我するわよって、あれ? 俊ちゃん……」 素ちゃんが俺を見つけて言った。 「あはは、偶然だねぇ。こんなところで会うなんて」 「あぁ、おねーさん、大丈夫大丈夫。ねぇ、あんたら組の人?」 タトゥーとピアスが顔を合わせ笑った。 「おう組のもんだ。おまえらガキだろうが」 「どこの組? 言ってみ?」 「あっ? どこの組だろうが、関係ねぇだろ?」 「ふーん。あんたら嘘つくなよ」 タトゥーの目がすわった。 「あっ? 嘘なんてついてねぇよ」 「だって本当のヤーさんなら、こんなことしねぇよ。しても末端の奴だろ?」 「もういい。おらぁ」 山口はピアスの右フックを、頬におもいっきり受けた。 「おら、見た? 俺の不意打ちフック。ガキなんていっぱ……」 山口は倒れず、男におもいっきり腕を振った。 「ういー!」 山口の太い腕が、ピアスの首をおもいっきり凪いだ。 「おい、てめぇ」 「きゃっ、きゃぁ……」 湯谷の声が聞こえたので見た。いつのまにか湯谷がタトゥーにつかまえられていた。それにしても、叫び声までおどおどしているとは。 「あっ、あんた情けないな。高校生相手に人質かよ」 タトゥー男。おまえはぜったいやっちゃいけないことをやった。俺は山口を制し、タトゥーの前に立った。 「あんたさぁ、まじでなにしてんの」 「あっ?」 「湯谷動くなよ。絶対動くなよ」 「もっ、森村君、あたしのことはいいから、逃げ……」 泣きそうになってしまった。俺の心配をしてくれるとは。 「いいから。今から助けてやる。絶対、動くなよ」 「うっ、うん」 「あっ? てめぇなんだよ。お友達か? なにすんだよ」 俺はタトゥーの言うことを無視し近づいた。 「てめぇ近づくなって……」 俺は容赦なく、本気の上段蹴りを放った。 湯谷が小さくて良かった。実に当てやすい。男が白目を向いて倒れた。 「終わったなぁ」 振り返ると、山口が拍手をしてくれた。 「おーいい蹴りだったねぇ。それにしても、ひどいことするなぁ」 「ともかく女子達大丈夫?」 俺は二見を探したが、いない。逃げたか? 山口も二見がいないのに気づいたのだろう。 「おい二見は? 二見、二見!」 「森村君、山口君、恵子を助けて。仲間の一人が岩場に連れていった」 「はぁ?」 山口が黙って駈けだした。 「やめてよ、やめて、おねがい」 岩場に抑えつけられた二見が、茶髪男の顔を手で押し抵抗している。 水着は半分脱がされ、胸があらわになっている。 「やめてぇ」 「うるせぇ。じっとしてろよ。あのバカガキ共にトラウマ作ってやるよ!」 山口は黙って岩場を踏みしていく。茶髪は気づいていない。しかし二見が気づいて叫んだ。 「助けて!」 「あぁ、いま助けてやるよ」 「あっ?」 山口に顔を向けた男の表情が、鬼をみたように歪んだ。 「てめぇ、なにしてんだ」 山口は茶髪の頭をつかみ持ち上げた。 頭皮から髪が剥がれるような音が聞こえそうなほど容赦なく。 「おまえ、やっていいことと悪いことあるだろ。殺してやるよ」 「てめぇ、手、離せ……」 「うるせぇ」 山口が茶髪の髪をつかんで引っ張った。 「てめぇ、いてててて」 茶髪は自分の髪をつかんだ山口の手を、両手でつかまえ足をばたつかせるが意味はない。 山口は茶髪を引きずったあと砂浜へ投げた。 信じられない。男はけして小さくない。しかし山口は片手ですべてやった。なんて力だ。 「本当なら、そのきたねぇ顔、岩場に叩きつけてやるところだが許してやんよ。普通に、ぼこぼこにしてやる」 山口の体が大きく見えた。 「大丈夫か二見?」 「うっ、うう」 二見が俺の胸にしなだれかかった。俺は二見の胸を見て隠せる物がないか探した。 「俊ちゃん」 背後から声をかけられ振り返った。追いかけてきたのか素ちゃんが、腰のスカーフを解いて差し出してきた。 「彼女に」 「俺は男だから。素ちゃん、頼む」 「あたしはあの子の助太刀を」 素ちゃんが山口を見た。 「大丈夫だと思う。山口は、あんなくだらねぇ奴には負けない。だよな、山口」 「負けるわけねぇよ。おら、立てよ」 山口が茶髪の髪をつかみ引き上げた。 しかし茶髪もチンピラとしての意地があるのか山口の腹を殴った。山口はびくともしない。山口が茶色い髪をつかんだまま、前蹴りを放った。 「ぐぶっ」 茶髪が後方へ飛んだ。山口の手に、茶色い髪がまとわりついている。 山口は倒れた茶髪の顔をおもいっきり踏みつけた。素ちゃんの攻撃もえぐいが、山口もえぐい。 「ぐあぁぁ」 茶髪が砂の上でのたうち回る。 山口は構わず、腰を曲げ殴りつけた。完全に目がすわっている。 「てめぇ二見に何してんだよ。誰に手、出したと思ってんだよ。殺す」 二見は素ちゃんに抱きかかえられ、女子に囲まれ喧嘩を見守っているが膝を震わせている。多分、襲われた以上に、山口の喧嘩があまりにひどいからだ。女子達も青ざめている。 「おらっ、おらっ、おら」 茶髪が立とうとするたび顔を蹴る、殴る。倒れたら頭を踏む。さすがにもう止めるべきだ。本当に殺してしまいそうな勢いだ。 「おい、おい、山口止めろ。本当に死ぬぞ?」 山口には聞こえないようだ。男の顔が、赤色に染まっていく。 「こっ、こっ、こっちです」 「大丈夫ですか!」 湯谷と男の声が聞こえて我に返った。 湯谷と宮城と杏奈、そしてライフセーバーらしい男が駈けてきたがみんな立ち止まった。 「おら、かっこわりいなぁ」 山口が茶髪の残った髪をつかみ引き上げた。元の顔がどうだったか忘れるぐらい真っ赤だ。それでも山口は攻撃を止めない。これはまずい。 「おい、やめろって!」 山口を人殺しにするわけにいかない。俺は後ろから山口に飛びかかった。 「おらぁ!」 山口が俺を振り払った。すごい力に翻弄され、砂浜に背中から落ちた。受け身をしたけれど息が止まった。きつい。くそ。 「やめろって」 宮城やライフセーバーも、山口に飛びかかったがはねのけられた。 その時、山口の前に素ちゃんが立った。 「いいかげんにしなさい!」 山口のほほをひっぱたいた。普通ならそこで目覚めるだろうが、今の山口は異様だ。血走った目を、素ちゃんに向けた。やばい。素ちゃんが身構えた。 湯谷が山口の背後に近づいていく。うそだろ。 「あぶない! 今の山口は普通じゃない!」 俺は湯谷に駈け寄った。 「山口、絶対殴るな!」 振り返った山口の顔は、返り血で真っ赤だ。山口が湯谷を見た。 「えい」 湯谷が山口の手首を両手でつかみ捻った。山口の体が、簡単に横へ傾いた。 「へ?」 見ている光景が信じられない。 湯谷は手首をつかんだまま、山口の体が傾いた方とは逆に引っ張った。 湯谷につかまれた山口の腕が、まっすぐになる。風に翻弄される落ち葉みたいに、巨体が軽々と揺れた。 「ほっ、ほんとうに、こっ、このままだと、その、人、しっ、死んじゃいます? えい」 山口がバランスを崩し、砂浜へ顔から落ちた。 湯谷が山口の手を逆にひねると、簡単に仰向けになった。 「どっ、どうぞ、あっ、あたしの、平手打ち、よっ、弱いから……」 なんだそれ……。 「あっ、うっ、うん」 素ちゃんが戸惑いながらも、改めて山口の頬を平手打ちした。瞬間、山口の体がびくんとはねた。 「いっ、いてててててて。ちょ、手首、離して離して」 「いや、でも、また、暴れ出したり、したら、あっ、危ないから」 「暴れない、暴れないって。湯谷、湯谷、許して、折れる折れる折れるぅ!」 山口の絶叫が海辺に響いた。 というか、湯谷ってめちゃくちゃ強いの? ライフセーバーや目撃者の女子たちの説明を聞いて、警察も一応納得したようだが、山口は一緒に連れていかれることになった。 二見も落ち着きを取り戻し、女子と話をしている。しかし山口と顔を合わせない。無理もない。いつものほほんとしている山口が、本気でキレた姿を見たのだ。関わるのは怖いと思ってもしかたない。 山口も分かっているのか、隅の方でうつむいたままだ。 俺と宮城が悪者になるはずだったのに、本当の悪党が現れた。 山口が容赦なくぶつのめした。 正当防衛が通ずるかどうか分からないと警察に言われた。山口にやられたチンピラは、救急車まで呼ばれたのだ。 ただ最後の最後で救いはあった。 「ほら、恵子」 女子たちに押し出されるようにして山口の前へ二見が出た。二見は涙を拭いながら、頭を垂れた。 「ありがとう山口君。助けてくれて」 「いいんだよ。俺、二見のこと好きだから、守りたいと思うの、当前じゃない」 みんなの前で、山口が告白するとは思わなかった。 二見は目をしばたかせ、山口を見ていた。 だが女子達が山口の周りに群がったお陰でうやむやになった。 「山口君って強いんだね」 「いっ、いやぁ」 いままでの人生で、山口がこれほどもてたことはないだろう。山口はただでも大きい目を見開き頭をかいて照れた。 正直、山口が照れる姿は気色悪い。 その時、宮城が思いついたように言った。 「強いと言えば、湯谷さん。すごいね。なんか魔法を見ているようだった」 今度は女子が湯谷に群がった。 「ほんとほんとすごかったよ!」 「あ、あっ、あの、おっ、おっ、おじいさま、が、こっ、古武道の師範代で、だっ、だから、こっ、子供の頃から、なっ、習ってたんですよ」 湯谷が内股でもじもじして答えた。そういえば、はじめて二見と話をしていたとき、護身術を習っていると言っていた。古武道のことだったとは。 「でもチンピラにつかまったとき、どうして技を出さなかったの? 山口を止められるぐらいだから、簡単なんじゃない?」 「あっ、あっ、あのときは、ああいうこと、はじめてだったんで、混乱しちゃって。そっ、それに、あたし、まだ力のコントロールができなくて。だっ、だから、下手したら、あたしを捕まえてた人に技をかけたら、下手したら、ほっ、骨ぐらい、折ったかもしれないから。だからちょっと、むっ、むずかしい状況、だったんです」 恥ずかしがりながら言ったけれど、内容は物騒だ。 「じゃあ、そろそろ来なさい。署でもうちょっと事情を聞かせてもらうから」 「はい」 警察に言われて、山口が立ち上がった。 「いってくるわ」 コンビニでもいくような軽さだ。 山口とチンピラを乗せたパトカーが走り去った。 「さて……」 俺は顔を上げ、改めて素ちゃんを見た。 「おっ、おっひ、んっ、ん」 ものすごい再会だし久しぶりだったせいか、緊張して上手く声が出せない。 「久しぶりねぇ、俊ちゃん。元気だった?」 素ちゃんは久しぶりという感じでもなく、自然に挨拶をしてきた。 俊ちゃんと久しぶりに呼ばれた。照れてしまい頭を掻いた。 「もめてたのが、俊ちゃんの友達だったなんてねぇ。それにしても山口君? あの子、強いね」 「あぁ俺も驚いている。あの時、湯谷がいなかったらどうなってんだろう。ありがとな、湯谷」 俺は湯谷に感謝した。 湯谷は恥ずかしそうにうつむき、顔を横に振った。仕草があまりに可愛かったので顔が熱くなる。 「ねぇ俊ちゃん、ちょっと話があるから、つきあってくれない?」 素ちゃんが笑って手招きし、休憩所の裏に歩いていった。なんだろう。俺は素ちゃんを追いかけた。 休憩所の裏に人影はない。こんなところに呼んで一体なんなのか。 「なに? 話って」 「えっとね」 素ちゃんが振り返って言った。 「山口君だっけ。彼、とても危険よ」 「まぁ確かに俺も今日はじめてあいつがマジギレしたの見た。あそこまで強いなんて」 「あの時あたし、あの子が怖かったよ。本気で」 空手の日本選手権でも上位の素ちゃんを怯えさせるなんて相当なもんだぞ山口。 「素ちゃんも怯えることあるんだ」 茶化そうと思ったが素ちゃんは真剣な表情を崩さず話を続けた。 「あの時、誰の声も届いていなかった。完全に暴走していた。湯谷さんがいなかったら、本当にあたし、殴られていたと思う」 考えればそうだ。あの時、湯谷が止めなかったら誰があいつを止められたのか。 「二見って子が好きみたいねあの子。だから傷ついたのを見て自分を見失った。それは分かる。でもあのキレ方は異常。だから気をつけないといけない」 「どういうこと?」 素ちゃんは振り返り、砂浜をつま先で蹴った。 「あのタイプは、人を殺しかねない」 「大袈裟だろ。高校一年生だぞ?」 「手加減も出来ると思う。でも一度キレたら止まらない。誰の声も聞こえない。女にも容赦なく手を出す。危険でなくてなに。だから、もしあの子がまた暴走することがあったら……」 「うん」 素ちゃんの生真面目な口調に反論できなくなった。確かに異常だった。宮城と俺が二人がかりでかかっても、弾き飛ばされたのだ。中学の時、不沈艦というニックネームだったらしい。まさに不沈艦だった。 「俊ちゃん、止められる?」 素ちゃんの言ったことに、俺は何も言えなかった。次、暴れだしたとき湯谷がいるとは限らない。それに湯谷が強くても、危険なのは違いない。 「それはそうと、ねぇ俊ちゃん。あの子に伝えといて。あたしの携帯番号」 「へ?」 完全に思考停止してしまった。 素ちゃんが携帯番号の書かれた紙切れを差し出してきた。。 「どっ、どゆこと? いいの? ってか……」 「なんか気になるのよね、ああいう危険なタイプ。ほっとけないっていうか。ふふふふ」 「うそ」 「なによ?」 俺は口をぱくつかせながら、素ちゃんの顔と差しだされた紙を交互に見た。 「素ちゃん、ああいうのタイプ?」 「おりゃぁ!」 「ぐふっ」 素ちゃんの中段突きが、まともに腹へ入った。久しぶりの素ちゃんの拳。息が出来なくなり、倒れこむことになった。 「なっ、なっ、なに言ってんのよ、そっ、そういうことじゃなくて、気になるって言うか、あたしが止められるような存在になりたいっていうか、変なこと言わせないでよ!」 素ちゃん。気になるイコール、好きってことなんじゃないの? ぐぅ。 「はい、男の子なんだからあたしの中段受けたぐらいでだらしない」 そういえば子供の頃から好きなタイプは、自分より強い戦士と言ってたっけ。 法律は詳しくないので、細かいことはわからない。わかるのは、山口が罪を問われなかったことだ。チンピラは被害届を出さなかった。そりゃそうだ。チンピラどもには分が悪い。被害届を出せば、自分たちの罪もとがめられる。ただ山口は。警察や学校からだいぶ絞られたようだ。俺もあれはやりすぎだと思う。ただ被害者であるあの茶髪は、見た目のひどさとは反比例し、前歯と鼻が折れたぐらいらしい。鼻や歯が折れたので、血が派手に出たのだ。とにかく山口が問題をおとがめなしなのは良かった。 夏休み明け。クラスの話題は、山口と湯谷のこと。目撃した女子が、話を広めたらしい。 反応もさまざまだ。山口を怖いと思う奴もいる。頼りになると、判断した者もいる。好意的な感情をもつ奴のほうが多いようだが。二見を助けたのがポイントだ。 湯谷もそうだ。誰も予想しないだろう、あんなに強かったなんて。考えると、湯谷の通知表の成績で体育は三だ。二見から聞いたが、体力測定の時、千五百メートルを走っても、息が切れていなかったらしい。反復横跳びもちゃんとついていった。他の生徒が苦しそうになのに、湯谷はけろりとしていた。古武道の素養が生きているのだろう。信じられないが。 「湯谷さんって、護身術の達人なの? あたしたちにも教えてよ」 「えっ、たつ、じん、じゃないですよ。ちょっ、ちょっと、かっ、かじった程度で」 「でも山口君みたいな大男を取り押さえたんでしょ? すごいじゃん」 二見が煽った影響もあり、クラスメイトのほとんどが湯谷の周りに集まった。 満足だ。湯谷はもう浮いていない。しかし陰口をする奴らもいる。 「なんか調子に乗ってんじゃないの?」 たとえば湯谷いじめの中心人物、増渕とか。 「二見とどうしてあいつら海に行ったんだよ。抜け駆けしやがって」 熱狂的湯谷ファンのやつとか。 だが影響はほとんどないだろう。二見と俺たちは友達として認識されつつある。 それにしても、俺は橋になりたかったのに、二見に役を取られた気がする。 でもそれでもいい。湯谷は一人ではない。 だけれども俺は決着をつけなければならない。もう一度、湯谷に気持ちを伝えるつもりだ。 告白したときの返事は、まだされてないのだ。 覚悟は決められないけど。 それはそうとして。 「うそー」 俺は素ちゃんの携帯番号の書かれた紙を、山口に差しだした。 「素ちゃんが、おまえと友達になりたいってさ」 「良かったじゃん、山口。あの人すごい美人じゃん」 「良かったねぇ」 宮城と二見が祝福するけれど、山口の表情は複雑だ。二見のことが好きだから。二見に祝福されたのだ・苦い薬を鼻から飲まされたような表情にもなるだろう。 山口は大勢いる中、二見に告白した。 山口らしいといえばらしい。二見は返事をしたのか。気になる。 「一応、受け取るけど、俺、好きな人いるから。決着をつけないと」 山口が二見をちらっと見た。 二見は顔を赤らめ、気まずそうにうつむいた。まるで湯谷みたいに。 「今日の放課後、校舎裏で待ってるから。ちゃんと答えるよ」 「うん」 山口が目を輝かせうなずいた。 二見の口調からして、残念だが、山口には期待できない答えが待っているのだろう。 それでも決着はつけなければならない。 そして。 「はぁ……」 山口は二見が去っても、校舎裏に立って見上げていた。 湯谷に逃げられたときの俺と同じだ。 俺は慰めるため校舎の影から出ようとした。 宮城が俺の肩をつかみ、首を横に振った。 湯谷に逃げられたときを思い出す。 誰かに声をかけてほしかったか。 否。 思わなかった。 今の山口もそうだろう。 「帰るか」 「うん」 俺も宮城も駅まで黙ったまま歩き続けた。 山口だから明日には何事もなかったように明るい笑顔を見せるだろう。 そして次の恋に向かい走りはじめるのだろう。 素ちゃんなんかに向かって。 ジャンル別一覧
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